こころ館に「さらけ出し」というキーワードをもたらしてくれたのは、ヒューストン大学教授ブレネー・ブラウンによる「傷つく心の力(The power of vulnerability)」というTEDの動画。
このスピーチのなかでブラウン氏は「心の弱みを見せること」「生身をさらけ出すこと」といったニュアンスでvulnerabilityという言葉を用いていて、のちにこころ館のなかで「ヴァルネラブる」という動詞として派生することになりました(参考:「今日もヴァルネラブった?」)。
この「さらけ出す」って行為がもたらすインパクトにとりわけ注目が集まりつつある昨今ですが、実際のところ、気づいてる人は昔から気づいてたんだろうなぁと思うわけです。というわけで「さらけ出す」に関する情報収集をやってみた。
■為末大さん(元陸上競技選手)
2005年、世界陸上400mハードル銅メダルで日本を湧かせた為末選手。
入念なウォーミングアップと心理戦で試合を制した、考えるアスリートの代表格。この試合、何度見てもアツいですね。彼はさらけ出すことについて、こんなつぶやきをしています。
途中をさらけ出せなくて人の成長は止まる。いつもきれいに整えたものを出したい人はプロセスが鍛えられない。いいからさらけ出してしまえ。きっと馬鹿にされるだろうけれど、中身がばれただけなんだから気にする事はない。得る物の方が多い。
— 為末 大 (@daijapan) August 14, 2014
またブログでも↓
”昔アメフトの先輩が、球技の文化のいいところは、徹底的に相手のコンプレックスをいじりまくることで、いつしか本人が全部をさらけ出すようになることだと言っていた。確かに一番見せたくないところをさらけ出してしまうとあとは怖いことがなくなる。”
”幸いにして私の人生は、競技柄人前で自分をさらけ出すことが多く、また人物を鋭く見抜くような人も周りにいたから、自分を隠せないという局面が多々あった。何か発言するたびに、一つ一つの後ろにある考えを見透かされ、えぐるように突っ込まれ、またそれが図星であるから顔から火が出るほど恥ずかしい思いをした。今も自分が発信をする時には、あの人はきっと気づいているだろうなという考えがちらつくので、仮にいい人を演じる時でも少しばかり恥ずかしさを覚えながら演じている。”
(公式HP「THINK」から「隠せていると思っている人」より)
為末さん、さらけ出しの実践者じゃないか。
■横尾忠則さん(美術家)
日本の代表的な美術家のひとりである横尾忠則さんも、細野晴臣さん・糸井重里さんとの鼎談のなかで、さらけ出すことに言及されていました。
”生きるということは、ある意味で、
さらけ出して生きるわけで、
恥ずかしいことでしょう。
でも、それを恥ずかしいと決めつけてしまったら、
今度は窒息しちゃいますよね。”
”自分にとって気がかりなものというのはね、
なるべく吐き出して、できるだけ
軽くならなきゃだめなんですよ。
重いのは、よくないと思う。”
(ほぼ日刊イトイ新聞「横尾、細野、糸井、3人が集まった日。」シリーズから「軽くしながら生きている。」より)
…都合のいい部分だけピックアップしてしまったので、ぜひ全文を参照いただければと思います。
ある一定の水準までいくと、そこから先はもう自分をさらけ出さざるを得ないんじゃないか。隠していたいこと、なかったことにしたいこと、恥の感情…そういう”都合の悪い”ところも明るみに出すしかない、という局面が人にはいつか訪れるんじゃないだろうか。そんな感想を持ちました。
ここらで一旦投稿。調査は続く。
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