こころ館研究員吉田五月です(#^.^#)
ノストラダムスの大予言で地球が終わると言われていた1999年、私は母になった。
あの大予言を聞いたのは、確か小学校3年生。
その時想像した、「1999年(33歳)の私」は、ちびまる子ちゃんのお母さんのように、
くるくるパーマで、兄と妹2人の小学生の子どもがいるお母さんだったことも
付け加えておこう。(笑)
妊娠期の人たちのための月刊誌、たま〇クラブを毎月欠かさず読んでシミュレーションを
色々して33歳の出産に挑んだ。先輩ママからも『産む時』はたいそう痛いから覚悟してと
いうアドバイスも受けていた。
実際の出産は、「聞いてないヨォ~」なことのオンパレード。
『産む時(産道を通って来る時)』は、スイカが鼻から出てくるなどと、壮絶な感じで表現
されることが多く、そりゃあ痛いと言えば痛いわけだが、私はさほどその『産む時』のこと
は印象に薄い。
それよりもつらかったのは「陣痛」。綿密には「陣痛を我慢する」のがつらかった。
お腹からグイグイ生まれよう、出ようとしてくるのを、
『まだ我慢、まだ我慢』と言われ、耐えに耐えた12時間。(個人差があり、2時間の人もい
れば、3日間の人いらっしゃる!)
産道が開ききって、やっと『はいどうぞ』と助産師さんから声がかかったらこっちのもの
で、そこから先はもう、子どもと力を合わせ、エッサホイサと3回頑張って15分ほどで生ま
れた。なので『産む時』が一番サビではなく、どちらかというと陣痛がサビで『産む時』はC
メロくらいの私観。(どうでもいい)
まあそれはさておき、生まれたら生まれたで色んな「初めて」がやってくる。
生んで暫くは当たり前のことだが、息子のお世話に精いっぱいで、気が付くと退院してから3
週間くらい家から出てないことに気づき、ふと外の世界と自分が遮断されてるような感覚に
襲われた。
夫と母に息子を任せ、友達と買い物に出かけた時の、
外の世界の鮮やかさ、今でも覚えている(笑)
親族もみんな魔法にかかってウーパールーパーを「世界一かわいい」と言っていた頃(笑)、
首を持ち上げられた時、寝返りうった時、はいはいした時、つかまり立ちした時、
いちいち「初めて」が嬉しかった。
1歳前頃から、家の中だけでは持てあますほど、エネルギーに満ち溢れてきた。
公園デビューも親の都合でさせてやれず(笑)、何か発散させてやりたいと思っていた矢先、友
達から100畳のお部屋で遊ぶお寺の幼児教室にいかないかと誘われ、飛びつくように参加し
た。
広い畳のお部屋を縦横無尽に走り回り、お友達と遊んだり喧嘩したり、笑ったり泣いたり。
水を得た魚の如く息子はイキイキ。
そこには住職の先生と、3名の先輩ママ保育士さんがいらして、2週間に一回、取るに足らな
い「こんな時どうしたらいいんだろ」を抱えていくと、先輩ママである保育士さんが親身に
相談に答えてくださる。
取り分け「そんな悩みふり返ってごらん、鼻くそみたいな悩みなんよ。だから大丈夫」とい
う言葉にいつも母たち皆一同に勇気付けられていた。
そこに集ったママたちは、偶然初めての子のママばかりで、2週間に一度7人顔を合わせる
と、みんな同じような「こんな時どうしたらいいんだろ」を持ち寄ってたように思う。
でも、それを分かち合えていたことで、なーんだみんな一緒なんだ、うちの子だけじゃなく
て良かったと安心できた。
わからないことだらけの初めての子育てで、あの場は今思っても私にとって、紛れもなく笑
顔になれる大きな励みの場だった。
子育ても親になるのも初めてなのだし、わからないことがたくさんあってもそれは普通中の
普通なのだと思う。人と接することで、それが「普通」のことなのだと、思えたのかもしれ
ない。
6月30日オープンの“ママ朝研究室”、集い・学び・ふれあい、笑ったり、泣いたり、自分を
見つけ成長できるママがいっぱい生まれる場になってほしいなあ。
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